【ロングインタビュー】木村 洋仁(3/3)

2013/05/29| ,

後悔と不安を抱えた、20代後半


 

2009年、26歳。Webやグラフィックの知識を徐々に身につけていったものの「全体としてはうまくいっていなかった」と振り返る。

 

「仕事も以前ほどはやりがいを感じられず、かといってGoodDayで作っているものクオリティが必ずしも常にいい、とも言えず。どんどん自信がなくなっていったんです。建築も、WEBもグラフィックも中途半端で、あぁ、どうしよう…と」

 

20代中盤、迷いのとき。

 

「前職を辞めたことも、後悔はしていました。あのとき辞めていなければ今頃は、と考えたりもして」

 

そんな折、前職の上司が独立して設計事務所を開業。少しずつ手伝い始め、会社を辞めてフリーランスとしてその仕事を受けるようになる。震災以降は事務所の仕事が一段落したため、人の紹介で少しずつ仕事の依頼を受けるように。「ギリギリだが、なんとか生活できる」、そんな日々が続いた。

 

 

 

シェアから始まる、無数のわくわく


 

次の転機は、引っ越し。2011年10月のことだ。

 

「ちょっと生活環境を変えたいと思っていたんです。その頃、シェアハウスっていう言葉を聞くようになって。いくつか見る中で、新規物件だとコミュニティを自分で作っていけるから面白いですよって話があって、確かに、って」

 

そして引っ越したのが、横浜市・青葉区の「ソーシャルアパートメント青葉台」だった。

 

 

SUECCOはもともと、どんな経緯で始まったのだろうか。

 

「フリーランスで仕事をしている中で、“自分の色”が欲しかったんですよね。世の中にはいろんなデザイナーがいて、“その人だからこのデザインができる”というのがある。じゃあ自分の色は何なのかと」

 

そんな折、CCJの前身となる『Tokyo Community Crossing』のパンフレットを制作する機会があった。

 

「単純なA3の印刷物の真ん中に切れ目を入れて、本みたいな形になる作り方をしたんです。シェアメイトに折るのを手伝ってもらって、良いものができて。そういう、“印刷プラスひと手間”みたいなのを作りたくなったんですよね。DIY加工の本を買って、どんどん試したくなって」

 

 

生まれてくるわくわくを、シェアメイト2人に話してみると、意気投合。3人の共通点である“SUECCO”をグループ名として、ロゴやステッカーを作ってみたり、製版屋のワークショップに出かけてみたり。自由気ままな活動が始まった。

 

 

もがき続けた20代の結果が、形になりはじめた


 

シェアハウス生まれのSUECCOならではのパワーを再認識するきっかけとなったのが、2012年9月、実際の店舗を借りて1日限定オープンした「SUECCO CAFE」。

 

 

「シェアメイトたちと “今後やりたいこと”を話していく中で、『カフェやりたいね』『じゃあやろうか』って」

 

「で、僕がメニューに使うキッチン柄のデザインを描いてたら、ファッションデザイナーのシェアメイトが、『それハンカチにしたら』ってアイデアくれて、実際にシルクスクリーンで印刷してハンカチにしたり。料理は、韓国人のシェアメイトにプルコギ、タイ人のシェアメイトにタイカレーをお願いしたりして、みんなの得意分野を持ち寄って。わくわくして」

 

 

シェアメイトと交わす、何気ない会話から生まれるたくさんのアイデア。ひとりでは途方もないと思えることも、得意分野の異なるシェアメイトが集えば、実現できてしまう。

 

「面白い、と思って。なんかもっといろいろやれるんじゃないかな、って、SUECCOにこれまで以上に可能性を感じ始めたんですよね」

 

その頃から、仕事でもいろいろな人たちから声をかけてもらえるようになり、また、株式会社Lenkon、および株式会社SUECCO設立に向けた準備など、多方面で物事が急速に回り始めた。

 

 

めまぐるしく駆け抜けた数ヵ月を経て、実際に2社を設立した、今。

 

「なんかこう、今、いろんな可能性があるとこにいるんだな、って思うようになって。グラフィック、Web、建築、インテリアっていう自分の中にある幅もそうだし、違う得意分野を持っている仲間たちもそうだし、GoodDayのような、企業だけじゃないNPOという形もそうだし」

 

どれも中途半端になりそうだと、不安と後悔に苛まれていた20代後半。だが、迷いながらも目の前のことを続けていたことで、着実に質は向上し、多岐にわたる分野はそのまま“幅”という価値になった。

 

「20代はいろいろ試行錯誤して、ほぼ沈んだままの低空飛行で。でも、もがき続けていたらいろんな人に声をかけてもらえるようになり、少しずつ、いいなって思えるようなコトとかモノが作れるようになってきて。大変だったけど、あの時期があったから今があるなと思えるようになりました。あの経験がなかったら、チャンスが来たとしても、できなかったかもしれない」

 

 

今、リアルタイムで20代を過ごす人に伝えたいことは?と聞くと、苦笑しながらも答えてくれた。

 

「…自分で動かないと、ものごとは変わんない、かな。あとは、がんばるしかない。やってれば、いつかチャンスはくるはず。やっぱり、ターニングポイントになるようなことって、自分が選択してるんだと思います。僕が会社を辞めたのも、GoodDayに入ったのも、引っ越してSUECCOが生まれたのも、すべては自分の選択の上に成り立ってると思ってて。でも、ただ選択しただけじゃ結果はついてこない。そこでどう、動くか。だから、よくも悪くも自分次第ですよね」

 

 

 

そして、これから。


  

30歳を迎え、気持ち的な変化はあるだろうか。

 

「30代、面白そう、って思うようになりましたね。就職した当時はこんなキャリアプランなんて考えてなかったけど、全然想像しない方向に広がって、これからどうなっていくかな、と」

 

SUECCO&Lenkon設立にあたり、意気込みは。

 

「わくわくを形にしていきたい、と言ってるんですが、僕の場合は自分ひとりがわくわくしててもやれないんです。『いいね』って共感してくれる仲間がいるか、もしくは“僕が共感してる人”がやろうとしてることを手伝うとか。だから、ひとりで“意気込み”というより、みんなで一緒に作ってってもらうしかないと思ってて」

 

SUECCOやLenkonを、“うまく使ってほしい”のだと言う。共感し合いながら『やりたいことあるなら、一緒にやろうよ』というスタンス。常に周囲とコネクトしながら、周囲によって成り立つ。それが一番の“末っ子”らしさ、かもしれない。

 

 

こうしてインタビューを受けて語るには、ちょっと早いかな、と思っている。

 

「これで僕が、すでに世の中に価値を提供できているような出せてるような人だったらいいんですけど。まだ、どうなるかわからないという状態だから」

 

そうはいっても、30歳。新たなスタートラインに立ち、決意を語るにはいいタイミングだ。これから、どんな展開が待っているのだろう。

 

「まぁ、ゆるふわだから」と笑う、その一見柔らかなオーラの中に潜む覚悟や真剣さみたいなものは、実はちらちらと垣間見えていたりもする。

 


会社設立祝いに、専門学校時代の友人一同から贈られた時計を手に

 
 
 

Profile

木村 洋仁(きむら ひろのり)

1983年5月16日、茨城・大洗町にて3人兄弟の末っ子として誕生。幼少期はブロック遊びに熱中。専門学校卒業後、建築・インテリアの設計職に就きながら、NPO法人GoodDayのスタッフとして独学でWebの知識を習得、Webや広報物のデザイン・制作を担当。フリーランス転身後、グラフィック、Web、インテリアなど幅広く手がけるデザイナーとして活動。2012年、住んでいたシェアハウスの住人とともに自由気ままなモノづくり集団「SUECCO」を立ち上げる。2013年4月、株式会社Lenkonを共同設立、取締役就任。同5月、SUECCOを株式会社化し、代表取締役に就任。

 

(by Masako Watanabe)