【ロングインタビュー】木村 洋仁(1/3)

2013/05/29| ,

※このインタビューは、SUECCO代表・木村が会社設立&30歳を迎えた記念企画として、SUECCOライター・渡邉が実験的に、個人ライターという“第三者的位置づけ”から、代表の半生をインタビュー記事にしたものです。人の人生を垣間みるって、なんだか面白いですよね。3ページ構成で長いので、読みもの的にお楽しみいただければ幸いです。

 
 

低空飛行でもがいてた20代を経て、
今、いろんな可能性があるとこにいるんだな、って

 

 

Web、グラフィック、インテリアなど幅広く手がけるデザイナー、木村洋仁。2013年5月、自身が立ち上げたモノづくりグループ「SUECCO」を法人化し、年齢的にも30歳の節目を迎えた彼に、今に至る半生や、今後の構想を聞いた。

 
 
 

ゆかりの土地、逗子拠点のライフスタイルを構想中


 

5月16日で、30歳を迎えた。齢30を目前に5月2日、株式会社SUECCOを設立、代表取締役に就任。さらにその前月には株式会社Lenkon(※)を知人と共同で設立、取締役として事業計画を練る。

 

こう書くと、スーツに身を包んだバリバリのビジネスマンを想像する方もいるだろうか。実際は、気負わないカジュアルスタイルに、人なつっこい笑顔。まとう空気は、柔らかい。どれくらい柔らかいかというと、年下のシェアメイトたちから「ゆるキャラ」、取引先から「ラスカル」と形容されてしまうほどには、柔らかい。

そんな彼が代表を務めるSUECCOとは、どんな組織なのだろう。

 

「SUECCOは、いろんな得意分野を持った人が一緒に集まって、その得意分野を持ち寄って、“自分たちがわくわくすることを形にできたらいいね”っていう会社です。衣食住に強い人間で集まって、お互い支えながらスキルや思いをシェアして、わくわくしたいなっていう」

 

もともとは、自身が住むシェアハウスの住人たちがWeb、インテリア、ファッション、家具、執筆など、それぞれ異なる得意分野を持っていたことから生まれた“自由気ままなものづくり集団”。発足時のメンバーが3人とも末っ子だったことから「SUECCO」と名づけたのだという。

 

 

現在は横浜市・青葉台のシェアハウスを拠点に活動するSUECCO。聞けば、この夏には逗子へ拠点を移す予定なのだとか。

 

「逗子ってわくわくする場所だと思っていて。海が近いし、山もあるし。もともと自分も海育ち。それに、僕が参加しているNPOでも主な活動拠点としている場所でもあるんです」

 

 

そう、実は彼、NPO法人GoodDayのスタッフでもある。GoodDayは、「自然と共生した多世代で多様な互助のコミュニティ」を目指して活動するNPOだ。逗子海岸でのビーチクリーンや、共助の地縁を作る「Community Crossing Japan(以下、CCJ)」などを運営している。

 

「夏の間、逗子には音霊(おとだま)というライブハウスができるんです。そこと7年前くらいからずっと海のゴミ拾いをしていて。3、4年前からは行政・企業・市民団体が協同で森づくりをする『めぐりの森』という活動で、苗木を植えたりもしています」

 

「他にも、廃棄されるヨットの帆を素材にバッグをつくり販売する「逗子湘南アップサイクルプロジェクト」など、なにかと縁のある土地なので、SUECCOの新たな逗子拠点が、GoodDayの拠点にもなればいいなと思ってます」

 

※株式会社Lenkon:シェアハウスやコミュニティカフェなど「コトやモノが生まれるわくわくする場をつくり、その先の未来を見据える」事業を行う。逗子の家もSUECCOとLenkonの協働事業。

 

 

 

ブロックや洗濯バサミに夢中?!寡黙な少年時代


 

茨城県大洗町出身、海育ち。18歳になるまでを、その港町で過ごす。
3人兄弟の末っ子として育った幼少期は、どんな子どもだったのだろう。

 

「親が心配するぐらい全然しゃべらない、ひとりでブロック遊びしているような男の子でした。『うん』か『ううん』しか言わない、だいじょうぶかな?みたいな子どもで(笑)」

 

 

実家は旅館。母親は旅館のおかみさんで、父親は土木工務店を経営する。両親それぞれが事業を営む経営者という環境で、双方の働く現場を見ながら育つ。

 

今、振り返って、当時から現在にもつながっていると感じることはあるだろうか。

 

「ブロック遊びかなぁ…。スターブロックっていう、4、5種類のパーツしかないブロックなんですけど。接合する部材と、あとは長いか短いかぐらいの部材しかない。それを何個もつなげては、飛行機っぽい何かとか、よくわからないものを作るっていう。あとは、洗濯バサミで遊んでました。真ん中の金具に(次の洗濯バサミを)方向を変えながらはさんでいって、それをまた飛行機みたいな形に作ってみたりして」

 

限られたパーツでものを組み立てることや、父親の土木の現場でモノづくりを見ているのが好きだった。「その辺はなんとなく、建築や、Webでいろんな要素を組み合わせることにつながっているのかも」と回想する。

 

 

 

バスケに打ち込み、ファッションへの興味を深めた中・高校時代 


 

静かにブロックと向き合っていた少年は、小学校3年でバスケを始め、中学でもバスケ部に入部。気づけばバスケ部キャプテンとしてチームを引っ張っていた。曰く、「あの時が人生一番のモテ期だった(苦笑)」。

 

よく聞いてみると、それは自身の中で一種の「成功体験」だったらしい。

 

「小学校のとき、すごく太ってて。木村家は食事が大量なので、そりゃ太るんですけど(笑)。自分ではコンプレックスで。それが、中学入るくらいで身長も伸び始めて、部活もやっていると、だんだん普通になっていって。だから、“バスケやって変われた”みたいなところがあって」

 

 

親が心配するほど口数の少なかったぽっちゃり少年が、バスケ部キャプテンになり、女子にもちやほやされるように。ちょうどその頃、当時高校生になった姉のアドバイスで、ファッションにも興味を持ち始める。創刊間もない『Smart』を買い、ミルクボーイやヴィヴィアン・ウェストウッドに身を包んだ。「今考えたら生意気な中学生ですよね」と苦笑い。

 

高校を選んだ基準も、バスケ優先。バスケが強い県立高校で家から通える距離、という条件で工業高校へ入り、学科は家と同じ土木科を選んだ。県でも3位に入るバスケ部。規律も練習も厳しかった。

 

「膝に手をついて休むことは許されなくて。かつ、1年は水も飲めないみたいな。そういう部活でした。心身ともに鍛えられましたね」

 

部活一色かと思いきや、ファッションや雑貨への興味を深めていったのも高校時代。

 

「当時、水戸に『BLEU ROSE』っていうお店があって、その店長とすごく仲良かったんです。クロムハーツとか、シルバーアクセサリーに興味を持ち始めたのもその頃で。部活帰りに学ランで遊びにいっては、2、3時間そこでしゃべってたりとか」

 

部活を辞めたときには、反動で耳、口、へそ、すべてにピアスを開けた。だが「弾けて、ばーんってやってみたものの、監督に見つかって怒られて、それで終わりました(笑)」